上御茶屋は、巨大な人工池の浴龍池を取り囲む壮大な庭園です。
浴龍池は、高さ13mの堤防で谷川を堰き止めて造った人工池で、中島・三保島・万松塢(ばんしょうう)の3つの島があります。
島の間には楓橋と個性的な千歳橋が架かっており、池の景色を際立たせています。
建物は、隣雲亭と窮邃亭があり、いずれも床(とこ)、棚などの座敷飾りはありませんが、池の景色を存分に堪能できるつくりとなっています。
池の周りを巡ると、次々と変化に富んだ景色が現れ見る者を魅了するところは、桂離宮と同じですが、違うのはそのスケールの大きさです。
どちらにも持ち味があり、日本を代表する庭園と言えます。 |
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隣雲亭 |
真ん中あたりに黒っぽい瓦が見えるのが、隣雲亭です。
修学院離宮で一番高いところに位置し、標高は150mです。
左には、松並木が見えます。
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松並木 |
上の写真に見える松並木です。
江戸時代は棚田の間の畦道でしたが、明治23年に造成され、馬車が通れるような赤松の並木となりました。 |
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棚田 |
松並木から、棚田と鞍馬山方面の山並みが望めます。
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棚田 |
棚田の向こうの右に京都の町並み、左には中御茶屋が見えます。
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棚田 |
南東方向の展望です。
松並木の周りは全て棚田で、江戸時代には田舎の田園風景そのままでした。
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浴龍池の堤防 |
真ん中から右にかけて大きな3段の階層になっているのが浴龍池の堤防です。
高さは13m長さは200mという大規模な建築物です。
後水尾上皇の構想により、この堤防がつくられで谷川の水流を堰き止め、広大な池が出現しました。
内部は石垣の堅牢な構造となっていますが、武骨にならないよう生垣で覆われています。
[参照]にマウスを置くと、上空写真の堰堤(赤枠)がご覧いただけます。 |
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山門 |
広場右の通路奥の山門です。
山奥の雰囲気があります。
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御成門 |
隣雲亭への入り口です。
左に小さな出入り口があり、参観者はそこを利用します。
ここからは、まだ浴龍池は見ることができません。
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浴龍池と京都の町並のパノラマ |
隣雲亭への階段を上り詰めると、一気に展望が開け、眼下に浴龍池が望めます。
広大で美しい眺望に心を奪われます。 |
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浴龍池のパノラマ |
人口とは思えない自然な佇まいで、背景の山々と巧みに調和させたその構想力は、驚くべきものです。
左の直線的な堤が人工の堤防です。 |
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隣雲亭 |
大展望を観るためにつくられた隣雲亭は、内部は簡素ですが、戸板をぐるりととりはずすと、180度の広がりで素晴らしい眺望を楽しむことができます。
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隣雲亭 |
柿葺の簡素なつくりで、現在の建物は1824年に債権されたものです。
右下と左の土間に一二三石が見られます。
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一二三石 |
縁側への登口に一二三石が見られます。
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一二三石 |
軒下の土間にも一二三石が見られます。
鞍馬の赤石と加茂川の真黒石を一つから三つ埋め込んであります。
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一の間 |
部屋には床(とこ)や棚などの座敷飾りはない簡素なつくりです。
左の板戸で囲まれているのは、洗詞台と呼ばれる4畳ほどの板の間です。三方の板戸を開け放てば、屋外との境が感じられない開放的な眺望が得られます。
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洗詞台 |
屋外と境なく直接通じていると感じられる空間であることが良くわかります。
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洗詞台 |
大きな板が敷かれた空間です。
その昔、開け放った景観を眺めながら、四季折々の詩歌を練られたここと思われます。
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隣雲亭の庭 |
隣雲亭の北東側の庭園です。
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滝見燈籠と雄滝 |
庭園からの石段を降りると、滝見燈籠とその奥にある雄滝に出会います。
雄滝は燈籠の真上あたりですが、この時は水が枯れており見ることができませんでした。
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雄滝 |
奥で日が当らず黒くなっているところが雄滝です。
山奥の渓流を思い起こす光景ですが、水が枯れているため、滝と小川に水が見えませんが、枯山水の雰囲気を醸しています。
[参照]にマウスを置くと、水流があるときの滝の様子(合成)がご覧いただけます。 |
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渓流 |
上の写真の渓流の下流を同じ場所で写したものです。水流は浴龍池へ注いでいます。
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石橋 |
上の2枚の写真はこの石橋の上で撮影しました。
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千歳橋 |
当初からあったものではなく、1827年に水野忠邦ほかの寄進により建てられました。
切石積みの橋台に一枚石の橋板を渡し、東には宝形造、西には寄棟造の屋根を架けたもので、宝形造屋根の頂部には金銅の鳳凰が立っています。
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千歳橋 |
中島と万松塢の間に架けられています。
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楓橋 |
ここは昔、尾根であったところを深く切り通した掘割に架けられた木橋で、橋脚が非常に長くなっています。
周辺には楓が多く植えられ、秋には素晴らしい紅葉に囲まれます。
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窮邃亭 |
修学院離宮が創建されて以来、現存する唯一の建物です。
中島の頂上に石垣を組んで高く建てられ、眺望がきくようになっています。
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入口の石 |
土間には石が埋め込まれていますが、一二三石と違って一つだけのようです。
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扁額 |
入口上部に掲げらた扁額の窮邃の文字は、後水尾院の真筆です。
八角形の重なった部分には、水引を入れ込んだ意匠となっています。
[参照]にマウスをかざすと扁額の位置がわかります。 |
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窮邃亭の部屋 |
部屋は18畳のこの一間だけです。
床の間や棚などない簡素なつくりです。右の床の間のように見えるのは水屋(台所)になります。
左の一段高くなった部分は、上段の間となっています。
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上段の間と窓 |
上段の間の窓側には、御肘寄という欅の一枚板を渡してあります。
部屋の周辺の戸板と障子をはずすと、水屋と柱だけが残り、上段の間からはぐるりと300度ほどの視界が開けます。
池の上に浮かんでいるような感覚にとらわれます。
[参照]にマウスを置くと、上段に座した時の眺望範囲をご覧いただけます。 |
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窮邃亭の北東側 |
右側の壁は水屋であり、窮邃亭で唯一開放できない壁の区画となっています。
屋根は柿葺で、頂上に瓦の台と宝珠を乗せています。
[参照]にマウスをかざすと宝珠をご覧いだだけます。 |
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浴龍池 |
窮邃亭から山道を降りると視界が開け、広々とした浴龍池が見えてきます。
向かいに見えるのが、人工の堰堤で200mの長さがあります。 |
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土橋 |
土橋を渡って振り返ったところで、窮邃亭の屋根が見えます。 |
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御舟屋 |
舟を保管する場所です。
屋根は、杉皮葺を竹組で押さえた独特のものです。
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千歳橋 |
御舟屋から少し歩き、松の間から見えた千歳橋です。
少し移動する度に美しい景観が見られます。
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隣雲亭 |
池と万松塢の向こうに隣雲亭が見られます。
松・池・隣雲亭の取り合わせが日本的な情緒を感じさせます。
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舟着 |
縦長の石は、舟を繋ぐのに綱を掛けるためのものです。
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舟着 |
写真2枚を合成して、池の広がりを感じやすくしました。
後水尾上皇はここから舟を浮かべて、島々をめぐり酒宴や管弦・詩歌を楽しまれました。 |
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西浜からの光景 |
浴龍池とその奥の山によりスケールの大きな情景となっています。
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土橋と御舟屋 |
土橋と御舟屋の周辺には、楓が多く植栽され、秋になると美しい紅葉が見られます。
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万松塢(ばんしょうう) |
浴龍池の南端から見た光景です。
万松塢(ばんしょうう)は島のように見えますが、以前は山の一部の尾根であり、堰き止められた水がたまり池ができたものです。
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万松塢(ばんしょうう) |
後水尾上皇は、完成後の光景を頭の中で描きながら、この美しい光景を作り出したのですから、かなり芸術的・建築家的才能があったと考えられます。
よく見ると右から、窮邃亭・千歳橋・御舟屋を見ることができます。
離宮完成当時は、植栽が今ほど延びていなかったはずですから、それぞれの建物が良く見えており、建物からの眺望も今より見晴らしが良かったと言えます。 |
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古井戸 |
参観の終了間近に松並木の途中で見た、屋根が朽ち果てそうな古井戸です。滑車も木製で、わびさびを感じるとても雰囲気のあるものでした。
残念ながら詳細な位置がわからず、地図で示すことができません。
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