楽只軒は、後水尾上皇の皇女・光子内親王のために1668年(寛文8年)造営されました。書院造の客殿は、1668年(寛文8年)頃別な場所で造営されましたが、1677年(延宝5年)に移築されたものです。
これらの建物は上皇の死後、林丘寺(りんきゅうじ)という寺に改められました。
1885年(明治18年)、楽只軒(らくしけん)と客殿を含む、林丘寺境内の約半分が宮内省に返還され、修学院離宮の一部となりました。
なお、林丘寺は門跡尼寺として今も存続しています。
客殿一ノ間の霞棚は、桂離宮の桂棚、醍醐寺三宝院の醍醐棚とともに「天下三棚」の一つとして知られます。 |
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