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  西芳寺 (苔寺)    
   
 
西芳寺の庭園は約120種の苔で覆われ、緑のじゅうたんを敷きつめたような美しさから苔寺とも呼ばれます。
庭園(史跡・特別名勝)は、上下二段構え。上の枯山水と、下は池泉回遊式で黄金池は「心」の字を描いています。
庭園内の茶室・湘南亭は、重要文化財に指定されています。
西芳寺のある場所の歴史は古く、飛鳥時代には聖徳太子の別荘がありました。
奈良時代に至って、行基が別荘から寺へと改めたと伝えられます。
平安時代初期の806年ころには、空海が入山し黄金池にて放生会を行ったといわれています。
鎌倉時代には法然によって浄土宗に改宗され、 その後に親鸞は愚禿堂を建立し寺に滞在していました。建武年間に再び寺は荒廃していました。
室町時代に、作庭の名手でもあった夢窓疎石を招請して禅寺として再興しました。当時は池辺に二階建ての瑠璃殿のほか釣寂庵、湘南亭、潭北亭、貯清寮、邀月橋が建ち、池の淵には石組みが配置され、島には白砂が敷かれていました。
応仁の乱による消失や洪水により荒廃し、江戸時代末期に庭園は苔で覆われるようになりました。
1928年より庭園が一般公開されました。1977年7月からは、往復はがきによる事前申し込み制となり、読経と写経に参加することが条件となっています。
 
 
寺務所と鶴池
 鶴池では夏に大賀蓮が花を咲かせます。

大賀蓮は二千年蓮とも呼ばれ、千葉県の遺跡から発掘された2千年前の種を繁殖させた株が元となっています。
   
 
西来堂(本堂)
 昭和44年築ですが、日本建築の大工の技を結集した総尾州檜造りです。

参観者は庭園を参観する前に、ここで般若心経を写経し心を整えます。
   
 
観音堂
 明治時代の建築です。

西来堂が再建されるまで、ここが本堂でした。

仏間に、聖観音菩薩立像(平安時代)が安置されています。
   
 
 木の根元を囲む苔
 根元にある膨らんだ苔がシラガゴケです。

庭園には120種類ものコケが生えています。
   
 
 金剛池と夜泊石
 池の中に2列に等間隔で、石が配置されています。
一般的には、港に停泊する船になぞらえていると言われています。

この池では違う見方もあります。
夢想疎石が庭園を構築した当時、瑠璃殿と観音堂を結ぶ回廊の礎石だった、とも言われています。
   
 
 
 金剛池と夜泊石
 瑠璃殿は右の平坦地に建っていました。

観音堂は左に再建されています。
   
 
 金剛池からのせせらぎ
金剛池から黄金池へ注ぐ小さな水の流れです。 
   
 
 
 黄金池と朝日ヶ島・夕日ヶ島 
 中央に、夕日ヶ島の祠も見られます。
   
 
木立と苔 
 直射日光が当る時間が一度に長時間ではなく、太陽の動きと木立の繁みのおかげで適宜な間隔があり、コケの繁殖に最適な環境となっています。
   
 
 
 木立のあいまの黄金池
池から発生する水蒸気も、コケの乾燥を防ぎ繁殖を助けています。 
   
 
 根元を囲むシラガゴケ
 見事に覆い尽くしています。
   
 
 少庵堂への石橋
 下を流れる水は、金剛池からのものです。
   
 
 黄金池へそそぐ流れ
上の写真の下流を眺めた景色です。 
   
 
 少庵堂
 大正9年に建てられました。
   
 
 土塀と門
 庭園は土塀に囲まれており、風通しが制限されるためコケに必要な湿度の維持に役立っています。
   
 
影向石の石組 
 中心より少し左に注連縄を掛けた影向石が見られます。

周辺の石は、影向石の石組みと呼ばれます。

夢窓疎石が石組みと庭を創ったといわれています。
   
 
 影向石
 上の中心部を拡大したものです。

毎年正月に注連縄をかけかえます。



上の写真の赤枠を拡大しました。
   
 
 影向石の石組
木立の向こうに黄金池が見られます。 

石組は黄金池まで続いています。
   
 
 土塀
 塀の高さより下の空気は、入れ替わりにくいのでコケのための湿度を保つ働きをしています。
   
 
 湘南亭
 桃山時代 重要文化財

千利休の子、千家2代目の少庵が再建したと言われています。
   
 
 湘南亭の月見台
 黄金池に映る月の光を鑑賞するための広縁で、天井は塗り上げられた土天井となっています。
   
 
 土間庇
飛石風の石が置かれています。 
中央の障子は貴人口で茶室の入口となっています。
   
 
 湘南亭 北側
庇の柱と手摺には丸太をそのまま使っています。

縁の下の格子と石垣の構造をよく見ることができます。
   
 
 待合
 同じ建物の中に待合があります。

露地は簡素な構成になっています。

   
 
 
 湘南亭 全景
 幕末の1862年、岩倉具視は佐幕派の難をのがれて、ここに隠れ住んでいました。
その石柱が右に立っています。
   
 
 
 湘南亭から見た黄金池
 左から中にかけて少庵堂と影向石の石組が見られます。
   
 
 霞島と黄金池
 左に見える大きな石が三尊石です。
   
 
 三尊石
 真ん中の大きい石が釈迦如来、脇が文殊菩薩と普賢菩薩を象徴しています。

この三尊石は、後に作られる庭園の見本となりました。
   
 
 
 霞島 全景
 夢窓疎石が庭園を創作した当初、島と周辺は白砂で覆われていました。

左奥には瑠璃殿、右には邀月橋が建っていました。
   
 
 
   
 
 霞島と土橋
 土橋の向こうに見えるのが鶴島です。
   
 
 
 霞島 全景
少し歩くだけで、変化に富んだ光景が見られます。
   
 
 亀島
真ん中の奥で木の生えている小さな小山が亀島です。
   
 
 
 
   
 
 土橋と鶴島
 鶴島は、生け花か盆栽のような調和のとれた光景に見えます。
   
 
 霞島へ渡る土橋
 周辺の石組みが見事です。
   
 
 霞島と朝日ヶ島を渡す橋
 橋、島と海岸の取り合わせが、日本のどこかにありそうな風景に感じられます。
   
 
 霞島
 どの方向から見ても、味のある風景です。
   
 
 鶴島
 素晴らしい生け花に見えます。
   
 
 霞島と朝日ヶ島
 島をつなぐ橋だけが人工物ですが、周りになじんでいます。
   
 
 
 黄金池と霞島 全景
 創建当初、島が白砂に覆われたいたことを想像すると、現在のコケと白砂のどちらが良いのか思いをめぐらすだけで楽しくなります。
   
 
 鶴島と土橋
 
   
 
 透き通る黄金池
 この光景を観ると、モネの自宅であるジベルニーの太鼓橋の絵を連想してしまいます。
   
 
 
 霞島 全景
 霞島の北側を見ています。石組みの素晴らしさはどの角度から見ても新鮮に感じられます。
   
 
 
   
 
 鶴島と土橋
 ちょっとしつこいですが、数歩の移動で島の位置関係が変わり、何度も感動させられmさう。
   
 
 黄金池と鶴島
 右手前の苔の地面が池を引き立てます。
   
 
 鶴島と土橋
 池に映った緑が美しいです。
   
 
 厚く積ったシラガゴケ
 ここの苔は特に厚く見事です。
   
 
 潭北亭
 昭和3年に建てられました。
   
 
 潭北亭の丸窓から
 
   
 
 黄金池
 手前の石と植物が、まるで石付き盆栽のようです。
おそらく自然に落ちた木の種が生えてきたものと思われます。

盆栽が自然の凝縮というたとえもうなずけます。
   
 
 舟と黄金池
舟の存在が雰囲気を盛り上げます。 

アニメに出てきそうな幽玄な光景です。
   
 
 シラガゴケ
 互いに身を寄せ合って群落をつくり、まるく盛り上がります。
杉の根元を好み、西芳寺で一番良く見られます。
   
 
 苔の手入れ
落ち葉をそのままにすると下の苔が枯れるそうです。

毎日落ち葉を掃き取るなど、不断の手入れが美しい苔を育んでいます。
   
 
 手入れ用具
 自然の素材の道具なので、庭園に良くなじんでいます。
   
 
 苔と夜泊石
金剛池が見られます。

この写真も含めて上3枚の平らな土地に、700年前瑠璃殿が建っていました。

その後、瑠璃殿を模して、銀閣寺が建てられました。
   
 
 苔の間を縫う流れ
 西芳寺は、京都西側の山すその谷あいに位置しています。土地は東向きの斜面となっており、水が湧き出る場所が多く存在し、小さな流れを作っています。

   
 
 
 苔の地面 パノラマ
 豊かな地下水があり、地面に水分の潤いを与えています。

谷あいで山に囲まれており、小さな盆地のような地形となっているので、自然に湿度を保っており、苔のために適した環境となっています。
   
 
 
   
 
飛石 
 観音堂へ続く飛石です。

右には、小さな流れが見られます。
   
 
 向上関
 明治時代に立てられました。
   
 
 通宵路
 指東庵へと続くみちです。
   
 
 須弥山石組
 須弥山(しゅみせん)は、古代インドの世界観において「中心にそびえる聖なる山」を意味しています。
   
 
 指東庵
 一般的に開山堂とは、その寺を開山した祖師を祀る建物です

ここでは、夢窓疎石が祀られています。

指東庵は、西芳寺の開山堂につけられた固有の名称です。
   
 
 真如法親王位牌
 真如法親王は平城天皇の第三皇子で、出家して空海の弟子となる。西芳寺の前進である西方寺に空海は入山し、真如法親王もここで修行したと伝えられる。
   
 
 
 洪隠山枯滝石組
 700年前、夢窓疎石によって創られた日本最古の禅宗庭園の石組と言われます。

上下の二段構成となっています。
   
 
 洪隠山枯滝石組
 奥の上段にあたる石組です。
   
 
 夢窓疎石坐像
夢窓疎石は西芳寺を再興させました。

この像は、1351年入滅後まもなく彫られたものと思われます。

指東庵の東面から内部西壁を撮影しました。

同じ部屋の北壁には、真如法親王位牌が安置されています。
   
 
 龍渕水
 夢窓疎石はじめ歴代の禅僧は、座禅前にここで手を清めていたと思われます。
   
 
 
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